2009年12月15日星期二

バトンタッチ 心の準備 親子の夢、次女がパリデビュー

次世代
=======

白い画用紙の上を鉛筆が滑らかに走る。今でもこの瞬間が楽しくてたまらない。枕元にスケッチブックを置き、気分が乗ればいつでも鉛筆を動かし、洋服のデザインに思いを巡らす。イブニングドレスから肩の力を抜いたカジュアルウエアまで。どんなデザインもおもいのままだ。大切なのは全体のプロポーションとリズム感。まずは美しい服があり、体の方をそれに合わせるというのが私の持論。右の肩が下がっているのなら、姿勢を矯正すべきだし、ダメならパッとで補整すればよい。そんな気持ちでひたすら仕事に取り込んできた。
「仕事はサーカスの玉乗りのようなもの。足を止めたら転がり落ちて大ケガをする」。私は会社経営をこうたとえてきた。「引退はまだまだ先のこと」と思っているが、この8月21日でとうとう79歳の誕生日を迎えた。さて、この「玉乗り」はいつまで続くのだろうかーー。ただ気力が充実している限り、第一線で走り続けようと思っている。
東京・渋谷の雑居ビルの2階で社員10人ほどで会社を始めたのが1963年(昭和38年)。それが今では社員約400人、年商約120億円。その間、妻と二人三脚で高島屋の顧問デザイナーや皇室デザイナーなどを務め、96年にはアトランタ五輪の日本選手団公式ユニフォームのデザインも手がけることが出来た。
パリの目抜き通りにオープンした直営店は20周年を迎え、売り上げは堅調だ。2002年(平成14年)に発表した「コンパス」という中心を丸く繰り抜いた円形ストールもヒット商品に育った。何とかここまでやってこられたのは、ひとえにすばらしい人との出会いと支援があったからだと深く感謝している。
ところでこの「コンパス」は実用性と美しさを兼ね備えた私のデザインの集大成となった。頭からかぶればマント風、襟元に巻けばドレス風・・・・・・。着方によって様々に表情が変わるのが特徴だ。
思い出すのは05年2月。ウィーン国立歌劇場でソプラノ歌手、グルベローヴァがその「コンパス」を着てステージに上がったことである。
歌劇「ノルマ」を披露した晴れ舞台。彼女は自ら選んだ白い毛皮で縁取りされた楕円形の「コンパス」を身にまとい、心のこもったつややかな歌声を響かせていた。客席からは万雷の拍手がいつまでも鳴り止まなかった。
昨夏には、大きな節目がやってきた。91年に東京コレクションでデビューした次女の多恵がパリで始めてショーを披露したのだ。親子にとって長年の夢だった。私は77年にパリコレに参加し、3年で見切りをつけたから、芦田家としては実に29年ぶりのパリでのショーとなった。
私と妻はあえて欠席し、日本で娘の帰りを待っていた。親がしゃしゃり出たら、娘が脇役になってしまうからだ。次女には随分、昔からパリに出るようにと進めてきたが「もし失敗したら、父の名を汚してしまう」と娘の方が慎重だった。今回のショーは次女にとって意味のある一歩になった。大きな自信にもつながったはずだ。
いつかバトンタッチする日が来るまでーー。私がこれまで人生を通じて得た様々な経験と教訓を次世代にも伝えることが出来るのなら、これ以上の幸せはない。

終わり
(ファッションデザイナー)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
単語

枕元 まくらもと
玉乗り たまのり
雑居 ざっきょ
二人三脚 ふたりさんきゃく
毛皮 けがわ
昨夏 さくか
節目 ふしめ

没有评论: