2009年12月7日星期一

建築や暮らしぶり観察 昼餐会に三笠宮両殿下ご招待

パリに住む
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「パリで成功しようと思ったら、現地に住まないといけませんよ。いくら超高級ホテルにとまっても、旅人に過ぎませんから」。ある日、駐仏大使だった北原秀雄さんからこういわれたことがある。「もっともな話だな」と思い、早速、パリ中心部で物件を探し始めた。
最初に住んだのはジョルジュ・サンク通りにあるアパート最上階。居間、食堂、台所と3つの寝室、2つのバスルームがあり、社員も2、3人はとまれる大きさだった。家賃は1980年代当時で月25万円。日本の感覚では信じられないほどの値ごろ感があった。次に住んだのはフランソワ・プルミエ広場に面したアパートの3階。
140坪(約460平方メートル)のフロア全体が1つの家という豪華なつくりで、19世紀の建物にあわせて家具も同時代のアンティークでそろえてある。ここは天才画家ピカソの娘のパロマ・ピカソさんに競り勝って手に入れた物件だった。パリの自宅は生地の仕入れや店、ショーの視察で滞在するのに使うだけだったが、実際に住んでみると様々な発見があった。
まずアパートの住人から次々とパーティに招待され、部屋を見せてもらえたのが勉強になった。貴族の子孫だというある人の部屋は由緒ある調度類や美術品であふれ、美術館のようだった。壁に飾ってある絵を眺めていると「それは曽祖父がナポレオンから頂いたものですよ」と言われて、目を丸くした。
かと思うと、住み込みのメイドさんが暮らす屋根裏部屋の惨状には胸が痛んだ。天井は頭がつかえそうなほど低く、床は冷え冷えとしたコンクリートがむき出し。船室のような小窓からわずかな光が差し込んでいるだけで刑務所のようだった。厳然と残るフランスの階級社会の現実を目のあたりにした。
どうなに住まいが豪華でも生活面では意外に不便が多いことも分かった。シャワーが出ない、電話が通じないなどのトラブルは日常茶飯事。しかも修理業者を呼んでもすぐにはこないので、いつもイライラさせられる。何気ない日本の生活がいかに便利かを改めて思い知らされた。
パリ郊外にある数々のシャトーも見学に行った。良い物件があったら買おうと思ったからだ。結局は買わなかったが、これも私には良い勉強になった。建物や庭は必ず左右対称で整然としている。厨房は地下にあることが多く、そこから食堂まではかなり距離がある。使用人を大勢雇わなければとても暮らせないことも分かった。
1991年(平成3年)。パリの自宅で開いた昼餐会に三笠宮崇仁親王、同妃両殿下をお招きしたことがある。殿下は古代オリエント研究の業績が評価されてフランス学士院の外国人会員に選ばれることになり、その就任式に出席するために訪仏されたのだ。私はパリの有名料亭から腕利きの調理人を呼び、懐石料理のフルコースを召し上がって頂いた。
昼餐会の後、私は殿下にフランスの建造物の基本構造や人々の暮らしぶりについても細かくご説明した。これまでアパートやシャトーを物色して得た知識をフルに稼動させた。「今日は良い勉強をさせてもらいました。どうもありがとう」。殿下からこうおっしゃって頂き、私にとっては生涯忘れられない貴重な思い出になった。



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単語

三笠宮 崇仁 みかさのみや たかひと
駐仏 ちゅうふつ
北原秀雄 きたはらひでお
値ごろ感 ねごろかん
競り勝つ せりかつ
由緒 ゆいしょ
調度 ちょうど 家具
曽祖父 そうそふ
頭が支えそう つかえそう じゃまなものがあったり行きづまったりして、先へ進めない状態になる。
冷え冷え ひえびえ
厳然 げんぜん
厨房 ちゅうぼう
物色 ぶっしょく

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