2009年12月2日星期三

高島屋離れ銀座に出店 正田夫人の支援、社交界に人脈

独り立ち
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私は皇太子妃、美智子さまの衣装デザイナーとして仕事をしている間も、高島屋から給料をもらっている状態だった。だが、それでは商品の販売先が高島屋に限られるし、自分の直営店も出せない。そこで独立する機会をうかがうことにした。
心がけたのは一歩ずつ段階を踏むこと。まず1973年(昭和48年)に東京・青山に直営店「ミセス アシダ」をオープンした。高島屋の「ジュン アシダ」とはあえてブランド名を変え、違う商品を扱うことで了承を得た。この店はよく繁盛し、私は独立に向けた確かな手応えをつかんだ
続いて高島屋を説得し、「ジュン アシダ」の商品を京王百貨店にも卸すことを認めてもらった。壁を越えると、チャンスは連鎖的に広がるものだ。やがて阪急百貨店にも商品が卸せるようになった。こうして実績を積み上げながら、ついに75年に高島屋からの独立を果たした。
念願の銀座ゆみき通りに2億7千万円で17坪弱(1坪は3.3平方メートル)の土地を買い、直営店を出したのはその翌年のことだ。買値は1坪1620万円。これは週刊誌に取り上げられるほど話題になった。資金はすべて銀行からの借り入れだったが、会社はグングンと成長を遂げた
直営店を出すメリットは大まかに3つある。
まずこちらが仕上げたい色やデザインを自由に打ち出せること。次に客の反応をじかにつかめること。そして利益率が高まることだ。高島屋の仕入れは買い取り制で、こちらの在庫リスクが抑えられる代わりに商品をどう売るかは高島屋の自由だ。しかもかなりのマージンも取られる。だが直営店をだせばこの構造は大きく変わる。
ついでだが、私はセールは一切せずに商品の97%を売り切ることを目標に掲げてきた。業界では生産量の3割が売れ残るのが常識。だが私はその基準を3割ではなく3%に設定した。生産量を絞り込んだのである。「もっとつくれば売れるのに」とも言われるが、量ではなく質では勝負してきた。商品への愛着が人一倍強いからかもしれない。
さて、銀座に直営店を出したころの年商は20億円弱。今が120億円だから6倍に拡大したことになる。「皇室デザイナー」としての実績が強力な後押しになったし、美智子さまの母上にあたる正田冨美子さんからも、特別な力添えをいただいたことが支えになったのは間違いない。
「世界に大きく羽ばたいてくださいね」。皇室デザイナーをやめた76年、美智子さまにこうおっしゃった。そして正田夫人からは「10年間、妃殿下がお世話になりました。これからは私が全面的に応援します」と激励された。お二人から温かい支援をいただけた私は、本当に幸せものである。
駐日大使夫妻を招いて作品を披露する現在の私のショー形式は、実は正田夫人のアイデアである。最初のショーのメーンゲストに正田夫人とホジソン駐日米大使夫人になって頂き、18カ国の大使夫妻を招待した。大使館には花文字と呼ばれる書体の招待状を送らないといけないなど外交マナーの基本もすべて正田夫人から教わった。
こうして「皇室デザイナー」をやめた私は、日本の社交界にも人脈とビジネスの根を何とか下ろすことができた。我が社の基盤はまさにこの時期に固まったのだ


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単語

正田冨美子 しょうだとみこ
繁盛 はんじょう
連鎖 れんさ
直に じかに
序 ついで
掲げる かかげる
羽ばたいて下さい はばたいて
激励 げきれい
根を下ろす

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