2009年11月25日星期三

「パリで働いてみないか」 語学研修条件、仏百貨店が誘い

欧州視察
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飛行機の窓から外をのぞくと、見慣れた東京の街がゆっくりと雲間に消えていった。胸がドキドキと高鳴り、気分が高揚してくる。「これから何でも見聞きし、貪欲に吸収してやるぞ」。羽田空港から飛び立った私は心の中でつぶやいた。
1963年(昭和38年)1月の肌寒い日。私は旅行社が募ったファッション視察団に参加し、あこがれの欧州に初めて向かった。すでに高島屋のデザイナーとして実績は残していたが、自分の力が本場でも通用するのかをこの目で確かめたくなったのだ。
2ヶ月、仕事を休んだ。高島屋はその間の費用も給料も出してくれた。渡航先はオランダ、英国、フランス、スペイン、イタリアなど。でも最も印象深いのはパリだった。まず町並みの美しさに心を奪われた。高さや色が見事に統一され、広場は噴水や花壇で華麗に飾られている。
威風堂々としたシャンゼリゼ通りにも圧倒された。一流ブティックが集まるフォープル・サントノーレ通りのそぞろ歩きには心が浮き立った。待ちにはシックに着飾ったマダムが行き交い、洗練された様々な洋服が店先を鮮やかに彩っていた。パリの街全体がショーウインドーだった。
「娘に着せたいなあ」。店先を覗くたびに気になったのが子供服だ。イカリのマークが入った赤と白の水兵服、真っ白ななめし革のスカート・・・・・・。日本に残してきた2歳の娘のために私はせっせと買い漁った。2ヶ月間でダンボールに3箱もたまり、持ち帰るのに苦労したほどだ。
さて、私はころあいを見計らい、オペラ座近くにある老舗百貨店プランタンを訪ねてみた。日本から用意してきたデザイン画を見てもらうためだ。デザイン室で面談した担当者は作品に丹念に目を通すと、私に笑顔を向けた。「素晴らしい出来栄えだ。これならパリでも十分通用するよ。今すぐにここで働かないか」
驚いたのは私のほうだった。具体的な給与額までその場で提示されたのだ。思わぬ急展開に私は当惑した。
「ただし」と相手は続けた。「問題はあなたの語学力。職場では議論が中心だから、言葉がわからないと仕事にならない。語学学校でフランス語をみっちりと鍛えること。これが入社の条件です」。私は回答を保留し、渋滞先のホテルに引き返した。
「へえ、そんなに給料をもらえるの?すごいじゃない。パリに出てこいよ」。以前からの友人でパリの有名工房で就業していた防止デザイナー、平田暁夫さんに話すと、自分のことのように喜んでくれた。私の心は激しく揺れた。とにかく帰国し、よく考えてから答えを出すことにした。
ところで海外暮らしが長くなると、どうしても恋しくなるのが和食である。パリ滞在中、いつもお世話になったのがモンパルナスにあった平田さんの自宅だった。焼き魚にみそ汁、ご飯など奥さんの手料理に舌鼓を打った。こうして2ヶ月はあっという間に過ぎた。実り多き旅は終わり、私は帰国の途についた。
羽田空港に着くと妻と娘が出迎えに来ていた。久々の家族の対面である。「おーい、今帰ったよ」と娘に手を振ると、「え?どこのオジチャマ」と首を傾げている。絶句した。2ヶ月間、会わないうちに娘は私のことをすっかり忘れてしまっていた。


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単語

雲間 くもま
見聞きす みききす
貪欲 どんよく
渡航先 とこうさき
噴水 ふんすい
花壇 かだん
威風堂々 いふうどうどう
漫ろ歩く そぞろあるく
行き交う いきかう
せっせと
見計らう みはからう
丹念 たんねん
出来栄え できばえ
当惑 とうわく
平田暁夫 ひらたあきお
舌鼓 したつづみ
傾げる かしげる
絶句 ぜっく

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