2009年11月13日星期五

才能信じ弟子入り直訴 兄とは別の道で、反発心バネに

中原淳一
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「中原淳一」といえば女性向け雑誌「それいゆ」や「ひまわり」を創刊した売れっ子画家。憂いを帯びた瞳が印象的な少女の挿絵や服飾、随筆は女性たちに「心の美しさ」を呼びかけ、多大な影響を与え続けた。
ファッションデザイナーを目指す私にとっても、憧れの存在だった。
大学に進学すべきか、それともデザイナーになるべきか。高校生の私はそろそろ将来の進路を決めなければならない時期に差し掛かっていた。まず自分にそれだけの才能があるのかどうかを見極めなければいけない。
そこで描きためたデザイン画を携え、中原先生の自宅に押しかけてみることにした。デザイナーとして自分に可能性があるかを、どうしてもじかに尋ねたかったのだ。私は東京・江古田の自宅兼アトリエを訪ね、思い切って玄関の呼び鈴を押した。
「先生はご在宅ですか。デザイン画を見て頂きたいのですが・・・・・・」。しばらくするとお手伝いさんが顔を出し、「申し訳ありません。中原は留守です。どうかお引り取りください」と丁寧に頭を下げた。「明日ならいますか」「いつなら見てもらえますか」 。私も必死で食い下がるが、取り合ってはもらえない。
それでもあきらめきれない私は、ある日、新聞で先生が講演会をするという広告を見にし、「よし、直接交渉に行こう」と覚悟を決めた。会場に着くと、黒塗りの自動車がズラリと並んでいる。その中から「ひまわり」と書かれた旗をつけた自動車を探し出し、立ったまま待ち続けた。
やがて小奇麗なジャケットを着た先生が現れた。私は付き人の制止を振り切り、慌てて声をかけた。「お願いします。私が描いたデザイン画を見てください」。最初、先生は驚いた表情を浮かべたが、私の必死な形相に気づき、それから、差し出されたデザイン画に視線を落とした。
「分かりました。さあ、クルマにお乗りなさい」。秘書がせかすのを制し、私を自動車に招き入れてくれた。
先生は30枚程度の私の作品をじっくり見てくれた。「これはあなたのアイデアですか」「服もあなたのデザインですか」。穏やかな口調で質問されるたびに私はうなずいた。やがて、先生は私の目を見据えてこう言った。
「あなたには才能があります。ただこの道は決して甘くはないですよ。それでも、やり遂げる覚悟があるなら指導してあげましょう。いつでもここに電話をください。」そう言って、連絡先を書いたメモを差し出してくれた。その瞬間、明るい太陽の光が差し込んできたような、天にも昇るような心持になった。
憧れのスターに才能を認められたという事実に心が弾んだ。よし、これで踏ん切りがついた。もう大学進学はやめよう。「僕は中原淳一の弟子になります」。親族の前でこう宣言すると、皆が色めきたった。「何だって?大学に行かなかったら、まともな人間にはならんぞ」「男のくせに女の服を作るなんて恥ずかしい」
だがどんなに反対されようと、自分の意思は揺るがなかった。兄達が一流大学を出ているなら、自分は別の道で一流になってみせる。そんな反発心がバネになった。私はデザイナーとして活躍する日を夢見ながら毎日、デザイン画の練習に励んだ。

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