2009年11月4日星期三

加山雄三 永遠の若大将 歌と共に おやじバンド結成、毎月演奏

いのち果てるまで
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「次の曲は『旅人よ』。ご存じの方は、どうぞ一緒に歌ってください。僕を初めて見る外国の方にも、日本では有名な歌手なのだなと思ってもらえるでしょうからね」
2005年10月、米ニューヨークのカーネギーホール大ホールでデビュー45周年コンサートを開いた。客席には日本人の姿も多い。歌の合間は英語で話していたが、ここだけは日本語で。演出の石田弘さんのアイデアだった。
「草は枯れても いのち果てるまで 君よ 夢をこころに 若き旅人よ」。期待以上のものすごい大合唱が巻き起こり、会場にいたみんなの心を揺さぶった。石田さんは涙でぐちゃぐちゃになっている。僕らに対して横柄で冷たかったホールの職員たちまで涙、涙・・・・・・。僕には歌がある。歌い続けてきてよかった。
「加山さん、エレキ引いてくださいよ」。ザ・ワイルドワンズの島英二君にそう言われたのが1994年のこと。あれほど好きだったエレキギターなのに、僕は70年の倒産騒ぎのころに放り出して、ずっと倉庫に捨て置いていた。
ワイルドワンズは後輩の加瀬邦彦君が60年代に結成した僕の弟分で、「思い出の渚」が有名だ。バンド名は僕がつけた。「どんな意味です?」「自然児だよ」 「修善寺ですか」。そんな連中である。
「こんなに錆びちゃって、ひどいや」。島君は僕のギターに新しい弦を張り、アンプにつないだ。ああ、懐かしい音がする。「エレキの若大将」の日々がよみがえった。
「よし、メンバーを集めよう」。僕や島君を含めて7人編成のおやじバンド、ハイパーランチャーズを結成。加瀬君の経営するライブハウス「ケネディハウス銀座」で毎月演奏するようになった。おかげで錆びついていたギターの腕もずいぶん回復した。
06年3月には東京文化会館大ホールで公演した。ポップス系の音楽家がこのステージに立つのは僕が初めてだそうだ。大本直人さん指揮、千住明さん編曲という恵まれた環境で歌った。長女が生まれた時に作った弦楽合奏のためのロンド「真悠子」では指揮棒も振った。あれは緊張した。
連載の前半に「音楽は趣味」と書いた。仕事と考えると楽しみが失われるから、あえて「趣味」と言わせてもらっている。思えば、僕は多趣味な人間だ。船やスキーだけでなく、近年は油彩や水彩画、陶芸にも熱中している。59歳で初めて開いた個展は13回を数え、西伊豆に自分の釜も開いた。鉄道模型やテレビゲームもかなりのマニアだ。
72歳になっても、「永遠の若大将」のイメージが強すぎて、俳優としてはマイナスになった面もあるだろうが、音楽家としてはまったく逆である。多くの人々と共有した夢の世界が「若大将」で、僕の音楽はそこに誘う呪文のようなものかもしれない。
今は「湘南 海 物語 オヤジ達の伝説」と題して、ワイルドワンズと一緒に各地でコンサートを開いている。「夜空の星」や「君と何時までも」を歌えば、お客さんも僕自身も「若大将」の時代にひとっ飛び。心から「幸せだなあ」といえる瞬間だ。
来年はデビュー50周年を迎える。生涯現役でやっていくため、酒もたばこもやめた。僕は歌いたい。夢をこころに、いつまでも。

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